
2000年シドニーオリンピックの女子マラソンで、8万人の観衆を魅了した高橋尚子さん。
その走りは、今も記憶に残る名レースとして語り継がれています。
20代のあどけない笑顔に浮かぶえくぼは、レース中のさまざまなシーンを思い出させてくれるほど印象的でした。
そして、Qちゃんと小出監督がオリンピックに懸けた思いは、ゴール後に見せた最高の笑顔として結実したのです。
高橋尚子さんの若い頃の画像をまとめてみました。
高橋尚子の若い頃の画像まとめ
☛大阪学院大学時代のトラック3,000m
高橋尚子さんと小出監督の「二人三脚」は、大学卒業後の進路選びをきっかけにスタートしました。
教師になるか、陸上を続けるかで悩んでいた高橋さん。
高校時代の恩師が「小出監督の門を叩いてみては」と助言したことから道が開けたからです。
- 学生時代の高橋尚子さんは、健康的で少しふっくらとした印象だった。
- 大阪学院大学に進学してから本格的に力を発揮し始める。
- 日本学生選手権1500mで初優勝。
- 関西インカレでは中距離種目を次々制覇。
- 全国レベルの大会でも上位入賞を果たす。
- 教育実習を経験しながらも「陸上を続けたい」という思いが強かった。
- 実業団からの勧誘を受ける中で、小出監督との出会いが訪れる。
- 当初は「大卒は採らない」と断られた。
- しかし合宿で走りを見た小出監督が一目で素質を見抜く。
- 契約社員という形でリクルート入りが決定。
- ここから高橋さんと小出監督の二人三脚が始まった。
つまり、高橋さんが迷いながらも陸上の道を選び、小出監督と出会ったことこそが、後の金メダルにつながる大きな一歩だったのです。
リクルート時代

高橋尚子さんは、リクルート入社後すぐに頭角を現し、初マラソンから大きな注目を集めました。
日本代表クラスの選手が揃う強豪チームに加わり、1年目から駅伝メンバー入りを果たしたことで、その素質を周囲に認められていたからです。
- 1995年、リクルートに入社。
- 当時の目標だった駅伝メンバー入りを初年度から達成。
- 1997年1月、大阪国際女子マラソンでフルマラソン初挑戦。
- 小出監督が「有森二世」と各メディアに紹介するほど期待を寄せられていた。
- しかし後半でペースダウン。
- 初マラソンは2時間31分32秒で7位という結果に終わった。
このように、高橋さんは初マラソンでは悔しい結果となったものの、すでに日本陸上界から大きな期待を寄せられる存在になっていたのです。
積水化学時代

高橋尚子さんは、世界陸上での経験をきっかけにマラソンへ本格転向し、ついにシドニー五輪代表の座をつかみました。
トラック種目での挑戦から一歩踏み出し、小出監督の指導のもとで持ち前のスピードを活かした走りを発揮したからです。
- 1997年、世界陸上アテネ大会5000mに出場し、決勝13位に終わる。
しかし、同大会で練習パートナーの鈴木博美が女子マラソン優勝。
その姿に感動し、マラソン転向を決意。 - 1998年3月の名古屋国際女子マラソンで初優勝。
30km過ぎに小出監督の「ここからいけ!」の合図でスパートし、当時の日本最高記録2時間25分48秒をマーク。 - 2000年3月、同じ名古屋国際女子マラソンで五輪最終選考会に挑む。
体調は万全でなかったが、後半の力強い走りで大会新記録の2時間22分19秒を樹立し、2度目の優勝。
シドニー五輪代表を勝ち取った。
こうして高橋さんは、世界の舞台で得た感動をバネに、圧巻の走りで代表切符を手にし、シドニー五輪への大きな一歩を踏み出したのです。
シドニー五輪で活躍した時代

2000年のシドニー五輪女子マラソンで、高橋尚子さんは見事に金メダルを獲得し、日本陸上界に歴史を刻みました。
序盤から積極的にレースを引っ張り、勝負所で果敢にスパートを仕掛ける強気の走りが、世界のライバルたちを突き放したからです。
- レースは18km付近で先頭集団を飛び出し、一気に流れを変える。
- 26km付近からはリディア・シモン(ルーマニア)と激しいデッドヒート。
- 34km過ぎ、サングラスを沿道の父親に投げ渡した瞬間にスパートし、シモンを突き放す。
- ゴール直前に追い上げを受けるも逃げ切り、金メダル獲得。
- タイムは2時間23分14秒で、16年ぶりに五輪最高記録を更新。
- 日本陸上界64年ぶり、そして女子では史上初の五輪金メダルという快挙を達成。
- この功績により、同年10月30日、国民栄誉賞を受賞。
つまり、高橋さんのシドニーでの走りは、日本陸上界に「初の女子金メダリスト」という偉業をもたらし、国民的ヒロインとして歴史に名を刻んだのです。

シドニーオリンピック、戦い終わってシモンさんと

2000年5月18日オリンピックスタジアム前にて


2000年9月15日、シドニー入りした高橋尚子&小出監督



まとめ
高橋尚子さんと小出監督の「二人三脚」は、大学卒業後の進路選びをきっかけに始まりました。
リクルートに入社した高橋さんは、すぐに頭角を現し、初マラソンから大きな注目を集めます。
その後、世界陸上での経験を経て本格的にマラソンへ転向し、ついにシドニー五輪代表の座を射止めました。
そして迎えた2000年のシドニー五輪女子マラソンでは、見事に金メダルを獲得し、日本陸上界に新たな歴史を刻んだのです。