安青錦と関西大学の関係は?紫紺色の化粧まわしで繋ぐ戦火の家族への愛

安青錦と聞けば、数多くの相撲愛好家の方々はきっとその頭を上げない、昔風の力士というイエージが既に定着していることと思います。

その古風なる力士の姿には、いくつもの素晴らしい取り組みが見え隠れし、その背後には安青錦の人生を180度変えた、特別な「出会い」や「絆」のエピソードがたくさん詰まっていました。

そして、苦難の中でも故郷を離れ日本にやってきた安青錦を温かく、そして心から歓迎してくれたのが、関西大学相撲部だったのです。

そのように心から受け入れてもらえる環境を提供してくれた一人には、安青錦の大きな才能に気付き、自らの元に迎え入れることを決心した関西大学相撲部の山中新大コーチの存在は大きかったと思います。

そして今回、関西大学から贈られた化粧まわし、それには日本で過ごすうちに積み重ねてきた安青錦への信頼と感謝、そして遥かドイツの故郷に残す家族への深い「愛」が詰まっているのです。

本記事では、そういった安青錦の日本における歩みと、そして相撲というものを通じて繋がってきた人々との深い「絆」の物語を辿りながら述べていきたいと思います。

関西大学との出会いが人生を変えた

Marine
安青錦さんの関西大学との
繋がりが深いことがわかりますね。

Marine
山中新大コーチの名前をもらい、
安青錦新大に。

その特別な遭遇、すなわち安青錦の人生を大きく変えたのは、その関西大学相撲部の指導者、山中新大コーチとの出会いでした。

安青錦はウクライナでアマチュアの相撲でそれなりに活躍していました。

ところがロシアの侵攻で18歳以上の出国はウクライナでは禁止となりました。

運よく、安青錦は17歳と11か月。

以前にアマチュア相撲で面識のあった関西大学の山中新大コーチに「日本で相撲の技術と精神を学びたい」と手紙を書きました。

関西大学相撲部コーチの山中新大さんは、相撲を愛する子供たちを導く道しるべ、ナビゲーターのような存在だったのです。

新しい言語、異なる文化という異なる環境の中でも、安青錦は温かな歓待を受けて関西大学相撲部に加入しました。

言わば、このことが安青錦にとっての第二の故郷となったのです。

最初のうちは、何もかもが違う環境に順応するのが大変で混乱もあったことでしょう。

関西大学の千里山キャンパスで同じ部員たちと一緒に相撲の練習を日々続け、また激しい稽古で汗を流す中で、自然と笑顔が増えていきました。

その勇猛で積極的な姿勢と改善された表情を見つめ、山中コーチはその確信を新たにしたと言われています。

「この若者、きっと日本の土俵で才能を開花させ、大いに活躍するだろう。」

と確信したのです。

関西大学の山中コーチの家族と過ごした日々

Marine
ダーニャ青年は大関、横綱を
目指してほしいですね。

安青錦が日本で心から相撲に打ち込むことができたのは、関西大学の山中コーチとその家族の存在があったからこそです。

留学生として異国で生活する安青錦にとって、本来なら孤独を感じてもおかしくない状況でした。

しかし、関西大学の山中コーチ一家はまるで自分の家族のように安青錦を迎え入れてくれたのです。

毎日一緒に食卓を囲み、週末には一緒に出かける。

そんな温かな時間の積み重ねが、異国での寂しさも和らぎ、安青錦にとって日本での何よりの思い出となりました。

あまり多くを語らない安青錦さん。

言葉にすれば、

「日本は遠い国じゃなかった。本当に、家族のように心のあたたかい人たちがいる美しい場所だった。」

とう語るにちがいありませんね。

関西大学から安治川部屋への運命的な出会い

Marine
安青錦の相撲スタイルと
親方の相撲は似ているよね。

関西大学での見事な強さが相撲関係者の目に留まり、安青錦さんは安治川部屋という相撲界への門を叩くことになります。

安治川親方(元・安美錦)はすぐさま安青錦さんの真面目で一途な性格を見抜きました。

「常に全力を尽くす稽古の姿勢。

困難な状況下でも、ひとかけらも不安を顔に出さない強靭さ。」

このような姿勢は安青錦さんの中に深く篤い信念を抱かせ、親方の心を動かしたのです。

安治川親方は、相撲の道が厳しさと美しさを同時に秘めていることを教示しました。

厳しい訓練の日々が続き、時として、心が折れそうになる瞬間も見受けられたといいます。

しかし、それらにもめげず、安青錦さんは関西大学の山中新大コーチ一家で感じた日本特有の心温まる雰囲気を思い出して、再三、立ち上がり続けました。

英語が話せる女将さんとの特別な絆

安治川部屋の女将は早稲田大学法学部を卒業されていて、相撲振興普及会を立ち上げた杉野森絵莉さん。

女将さんは料理の提供や日々の生活事項のサポートなどが主な役目でありながら、同時に安青錦さんの精神面も支え続けました。

異なる国の土地で家族と遠く離れて生活を送らなくてはならない相撲取りたちにとって、部屋の女将さんの存在はまさに「母親に近い存在」でもありました。

強度な訓練から戻ってきた安青錦さんに対して、女将は常にいつも温かい言葉で英語で話しかけ、体調面についても深々と気配りを続けたのです。

それらの行いは、まるで普通の家庭のような暖かさと安心感を提供し、安青錦の心をやさしく包み込みました。

「ここにも確かに、自分を信じてくれる人間が存在している。」

安青錦がそう感じさせられたのも、彼が土俵上で力強く存在し続けられたのも、それはすべて女将さんの存在が大きかったと言えるでしょう。

関西大学から贈られた化粧まわし

Marine
安青錦さん、山中コーチも
ほんとうに嬉しそうですね。

安青錦という素晴らしい人物に、関西大学という教育機関から特別な進呈品が届けられたとのことです。

実は、その特別な進呈品とはなんと、関西大学から贈られた豪華で特別な化粧まわし。

このまわしは、深紫という高貴な色をベースに、関西大学のシンボルカラーと校章が組み合わされたとっても洗練されたデザインとなっています。

このまわしには、安青錦の恩師だったり、同じ道を歩む仲間だったり、そして彼の活動を静かに後押ししてくれた全ての人々の厚い思いが刻まれているんです。

安青錦さんは多くを語らない素朴な関取です。

関西大学から贈呈された化粧まわしについてどんな思いなのか想像してみました。

「このまわしが身に着けられるたびに、私がどこから来たのか、どんな思いで日本に来たのか、そんな自分の原点、初心を思い出すんです。

そして、私を温かく受け入れてくれた全ての日本の人々への感謝の念も同時に湧き上がるんです」と。

安青錦が見つけた「相撲愛」と「家族愛」

異国・日本で力士としての道を選んだ安青錦。

その原点には、相撲への情熱と、家族への深い愛情があります。

遠くドイツで暮らす家族とは、離れていても心はいつもつながっています。

家族は試合の映像を見ながら応援してくれており、その存在が安青錦にとって何よりの支えになっているそうです。

「日本で頑張る自分の姿を見て、家族が少しでも誇りに思ってくれたら、それだけで十分です。」

関西大学での出会いから始まったご縁、安治川部屋で育まれた信念、そしてドイツで見守る家族への想い。

そのすべてがひとつになって、安青錦という力士の「人間力」を形作っています。

安青錦が締める化粧まわしには、ただの装飾ではない深い意味があります。
それは「感謝」「絆」、そして何より相撲への愛を象徴しているのです。

まとめ

安青錦が日本で相撲に打ち込めたのは、技術や環境だけではなく、人との絆があったからです。

関西大学で出会った山中コーチとその家族との出会い。

そして安治川部屋で出会った師匠や女将さんとの出会い。

その集大成として、関西大学から贈られた化粧まわし。

安青錦の相撲には、力だけでなく「人と人を結ぶ温かさ」が宿っています。

その優しさと誠実さを私たちも学んでいきたいです。

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